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27件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2002-02-14 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第1号

まさに私も、私の記憶が正しければ、奥野先生がおっしゃった、当時のいわゆるGHQのそういう関係者から、当時の外務大臣吉田茂さん、松本国務担当大臣が草案を渡されたのが二月十三日ですから、きのうのことだったような気がします。そういう意味では、極めて重要な御発言だと思って伺ったものです。  また、私自身は昭和三十三年生まれでございますので、前に一度こういうことを言ったことがあります。

島聡

1979-05-31 第87回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

問題は、天皇の名においてこれが出されており、しかも琉球諸島統治形態について、二十五年ないし五十年あるいはそれ以上、主権は日本に残したままアメリカ占領支配を続けていいという天皇の意見、これについてその当時の外務大臣、吉田茂さんであります、これはどのような態度をとられたのか、これが一つ。  

瀬長亀次郎

1978-02-01 第84回国会 衆議院 予算委員会 第4号

「一九五一年六月十九日 外務大臣吉田茂 国際連合総会議長ナスロラ・エンテザーム閣下」こういうことになっているのでございますが、この付帯書の中に、時間がありませんから私は詳しくは読み上げませんけれども、これは実にいまこれをながめていても涙さん然としてぬぐうのを知らぬような文面が飾られているのであります。

小林進

1962-03-28 第40回国会 衆議院 外務委員会 第18号

その次に、なおかつ重ねて了解事項として、日本国政府のために外務大臣吉田茂、米国政府のために云々と書いてある。これは協定の一部をなすものである。別に書類を二つ作って出したならばともかくも、この協定の一部として、ここに両国の全権がちゃんとサインをして認めておるものを、これは国際条約による債務でないと言い切れるなら言い切って下さい。

田中幾三郎

1953-06-18 第16回国会 参議院 本会議 第12号

当面の責任者たる先の外務大臣吉田茂君、今日の外務大臣岡崎勝男君は、全国民に対してその罪万死に値するというべきであります。(「そうだ」「質問々々」と呼ぶ者あり、笑声、拍手)現に米国中心母体とする戦犯釈放全面的解除が今なお行われざることは、ただただ我が外交の無能無力に憤慨を禁ぜざる者あえて私一人のみならんやであります。全面的釈放、一部分ずつ釈放を云々するというような、けちなことではいけない。

平林太一

1952-07-30 第13回国会 衆議院 外務委員会 第39号

アメリカ合衆国国務長官デイーン・アチソン、そして日本内閣総理大臣外務大臣吉田茂この二人の交換公文でありますから、アメリカ日本との間の問題を規律したものであるということは、私どもにはよくわかるのでありますけれども、どうも国際連合について、何らかの事項を規定したものというようには、ちよつと私には理解しかねるのであります。

黒田寿男

1952-03-31 第13回国会 参議院 本会議 第27号

いろいろそこには事情がございましようと、私はその点はよく了解いたしまするが、この借入金につきましては、当時の外務大臣吉田茂氏の指令によりまして、朝鮮から満州、中国その他各地区の在外公館責任者が、この指令によりまして、邦人の、いわゆる現在引揚者と言われている人々の中からこれを借上げまして、その借上げたそのお金で以て当時の無数の難民救済その他に充てられた、実に大きい使命を果したこれは借入金でございます

森崎隆

1952-03-25 第13回国会 衆議院 法務委員会 第24号

私がこれから聞こうとすることは、何も総理大臣外務大臣吉田茂氏やあるいは法務総裁、それはまた別に聞きますが、しかしあなたは先ほども私は日本人の誇りを捨てないでこの協定の交渉に参加したと言つておつた。それならば一体この重要な非常時が起りますれば、日本国民があげてアメリカ指揮官のもとに戦争にかり立てられるやもしれないというような条文なんだ、きわめて重要な条文なんだ。

梨木作次郎

1952-03-06 第13回国会 参議院 予算委員会 第16号

日本国憲法は言うまでもなく昭和二十一年十一月吉田内閣総理大臣の下において公布せられ、その翌二十二年五月三日から施行せられたもので、成文憲法上諭の次には内閣総理大臣外務大臣吉田茂という副署がこれは国の内外に対しまして、永久に残るものとして記録せられております。当時の吉田総理大臣外務大臣は今日の吉田総理大臣外務大臣その人でございます。

吉田法晴

1952-03-06 第13回国会 参議院 外務委員会 第9号

委員長有馬英二君) 実は一昨日兼岩委員からの御要求によりまして、外務委員長の名を以ちまして議長宛に資料の要求をいたしたのでありますが、まだ回答を得ておりませんので、外務委員長の名で外務大臣吉田茂氏に対しまして調査報告書を求める書類を提出したいと思いますが、如何でございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

有馬英二

1952-02-01 第13回国会 衆議院 予算委員会 第6号

○西村(榮)委員 この吉田書簡が一国の国策を意思表示する外交文書であるといたしますならば、これは当然日本国総理大臣外務大臣吉田茂から、アメリカ外交当局者たるアチソン国務長官に対して出された外交文書というものが、一国の正式な外交文書であろうと思うのであります。ダレス氏は、日本に来られる場合には、一時的に特命全権大使としての資格を付与されておいでになる場合もあるが、彼は国務省の一顧問であります。

西村榮一

1951-05-16 第10回国会 衆議院 外務委員会 第15号

そうすると今度の日本との講和條約の締結にあたつて外国から来る全権代表は、その全権委任状並び信任状天皇陛下に奉呈することになり、日本側では吉田内閣総理大臣が、おそらくはその本人である外務大臣吉田茂氏に信任状なり全権委任状を出し、それを陛下が認証し、その結果署名調印の運びになる、こういうふうな手続になると思うのでありますが、そうでありますか。

佐々木盛雄

1951-03-29 第10回国会 衆議院 本会議 第27号

吉田外務大臣不信任決議  衆議院は、外務大臣吉田茂君を信任せず。  右決議する。  今、日本国民が最も心配し、不安に感じておることは、日本戰争に巻き込まれるかどうか、はたして平和が保たれるかどうかという点であります。(拍手日本外務大臣たるものは、この国民の心を心として、何よりも戰争を防止し、平和を守る政治を命にかけても遂行し、国民の負託にこたえなければなりません。

米原昶

1951-03-08 第10回国会 参議院 予算委員会 第22号

           西郷吉之助君            新谷寅三郎君            高瀬荘太郎君            前田  穰君            菊田 七平君            鈴木 強平君            深川タマヱ君            一松 定吉君            堀木 鎌三君            矢嶋 三義君   国務大臣    内閣總理大臣    外務大臣    吉田  茂

波多野鼎

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